人気ブログランキング | 話題のタグを見る

はじめに

昨年、姉を病気で亡くし父や妹も同じ病気であることを最近知った。姉が亡くなったのはあまりにも突然で私はそれまで姉が病気であることを知らなかった。私は一人暮らしをしていて、亡くなる一か月ほど前に姉に久しぶりに会ってごはんを食べに行ったりくだらない話をしていた。身近な人が亡くなったことがあまりなく、どうしたら受け入れられるのかが分からず苦しい日々を送り、最近少しずつ気持ちが整理されてきて今まで通りとは言えないけれどなんだか大丈夫な気持ちで日々を送ることができるようになってきた。

私はブログで誰にも言えずに苦しんだことを吐き出し、無宗教の現代の20代の死の受け入れ方の一例を記していきたい。私は宗教からは死生観を構築できないので、現実的な私なりの論理を積み上げていきた。悲観的な考えはしないと決めていて、現実主義ではありながら自分が楽になれるように前向きになれるように考えている。だけどあまりにも現実的で冷たく感じる人もいると思うので読んで苦しくなる方々は読まない方がいいかもしれない。

私の親戚にはキリスト教を信仰する人と日本人に多いであろう墓は仏教だが仏教を特別信仰しているっていうわけではないという人がいる。私はどちらかというと後者に当てはまるが宗教については教養レベルでしか知らない。信仰しているかどうかで言えば無宗教であると自身では思う。

葬式の前後で「歌は言葉の2倍届く」「私が天国に行くまで待っていてね」とキリスト教を信仰する親戚は言った。抵抗があるわけではないがこの言葉に対して私はしっくりこないし、この言葉によって心は少しも救われなかった。

四十九日だとか成仏とか仏壇に供え物をするとか、仏壇の写真に対して話しかけたりすることもしっくり来なかった。

無宗教の人の死生観はどのように構築されているのかずっと疑問に思ってきた。ドラマ映画本なども大きく影響しているのかなと思った。でもそれらのメディアの一部には感動を売りにしている感じが強いものもあり、違和感を覚えた。そういう感動系のメディアから人間にとって重要である死生観が構築されていくのもなんだか変だなと思うけれど友達を見ているとそれが主流である気もした。

生きている限りこの先も大切な人を亡くしてしまうことは避けられない。だから将来の私のためにも考え方を整理して残したい。あと無理してコンスタントに書き続けるのではなくて書きたくなったら誰かに思いを聞いてもらいたくなったらのんびり書いていこうと思う。あくまでも自分や同じような考えをもつ人の気持ちが楽になることを目指して。

# by ringohakurankai | 2020-07-12 18:09